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自己責任とは?もともと非を認めないアメリカ人たちをまともにするための方便

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● 自己責任とは?もともと非を認めないアメリカ人たちをまともにするための方便

こんにちは、小野尾です。

いつころからだろうか「自己責任」という言葉をよく目にするようになった。

いつからかはもはや覚えていないなぁ。

近いところではカメラマンの後藤さんがISILに捕まったときか。。。

とまあ、自己責任という言葉が頭に残るようになっていて、そんなときに本屋をぶらついていたら、目に留まったのがこの本だ。

「この国の冷たさの正体 一億総「自己責任」時代を生き抜く(朝日新書)」

著者はご存知、精神科医の和田秀樹先生。

精神科医が自己責任というものをどのように解釈しているのか、それが気になって読むことにした。

自己責任とは何なのか?

結論から言おう。こういうことだ。

・自己責任は「もともと非を認めないアメリカ人たちをまともにするための方便」ぐらいに考えておけば良いということです。

「え?そんな程度でいいの?」というのが第一印象。

自己責任というと何かズシッと重いものを背負うことだと思い込んでいた。力が抜ける感じのこの結論がこの本の一番おもしろかったところだ。

これに関して言えば、日本はもともと自己責任型社会だという筆者の指摘はおもしろい。

確かに、武士や切腹するし、社長や責任者が不祥事の責任をとって辞任とかしている。

最近だと、新日本監査法人の理事長が東芝の件で責任を取って辞めたな。でも、会計にかかわっていない人にはわからないだろうな。

じゃあ、自己責任をどう考えればいいのか、ということになるが、著者のこの指摘がおもしろい。

・自由の対価のとしての責任ではなく、「オレは責任を取らないよ」と弱者に責任をおしつける保身と欺瞞の言語。それが「自己責任」です。

本著の冒頭にある言葉だ。

俺は自己責任という言葉を自由の対価としての責任として認識していた。

でも、世の中で使われている自己責任という言葉には違う意味があったんだ。しかも、こんな冷たい言葉だったとは。

自己責任という言葉に何か冷たさを感じていたんだけど、それはこういうことなんだな。自己責任という言葉を使う人の意図を感じていたのかも知れない。

自己責任は「強者が弱者に責任をおしつける」ための言葉だと理解できれば、それで十分だ。あとはそれを補強するだけの内容だからね。


そうはいってもなかなかおもしろいコメントがあるので以下で紹介しよう。

・現在のテレビ局は、経費削減のために、取材は記者クラブの発表情報や通信社に頼り切りで、独自取材をろくにしません。(中略)

スポンサーの顔色をうかがって、都合の悪いことは報道しません。何の専門家でもないコメンテーターに、したり顔で都合のいいコメントをさせて、取材もせずにもっともらしさを担保する。


→ どの局を観ても、だいたい同じようなことしかやっていない。だからテレビがつまらない。ま、そもそもテレビをほとんど見ないが。

結局は、自局の利益、視聴率しか考えていないってこと。

そもそもコメンテーターって何だ?専門家が解説を交えて語ってくれるのならいいが、何も知らないタレントが自分の気持ちをいうだけなのが多すぎる。

観る側としては自分の気持ちを代弁してくれて、安心してんのかな。「あ、オレと同じだ」ってね。

・ある問題に対して、全局一致団結して叩くテレビという存在は、正義とマジョリティの混同も引き起こします。

→ これもイヤ。責める対象を見つけたときの、その叩きっぷりは目に余る。異常だ。それこそ社会的なイジメだ。

イジメはいけないと放送した後で、そういう放送を観ると、いってることとやってることが全然違うじゃんとつっこみたくなる。

・現在のところ国際的に見て経済が好調なのはやはりアメリカです。日本の法人税率は15年で32.11%。16年からは31.33%まで下がります。

ところが、アメリカの法人税率は40.75%で、日本よりも断然高いのです。しかも消費税が10%を超えている州は一つもありません。


→ 法人税と消費税の話になると、テレビ局はなぜかアメリカのことは触れないんだよな。日本よりも法人税率が低いヨーロッパ諸国としか、比べないんだよね。

理由は簡単。法人税率を下げて消費税を上げたくて、そのために都合のいい情報だけを集めているから。単なる情報操作。

法人税を下げたいのは大企業、というよりむしろ外国資本、消費税を上げたいのは財務省ってとこかな。

結局は大企業は税金の負担が減って、僕ら消費者は税金の負担が増えるってこと。

・「民意を問う」という茶番劇

→ 政治家が民意を問うというと、いかにも主権者である国民の声を聴こうとするから、何かいいことを言っているように聞こえる。

でも、それって違うんだよな。政治家が「私たちは責任を取りません。あなたたちが決めてください」ってことだろ。

単なる政治家の責任放棄だよ。逃げだよ。

政治家だったら、実行したい政策があれば責任を持って国民に説明する、という責任を果たすべきだ。

ついでに言えば、マニフェストとかも、ある種の責任放棄だ。なんで、俺ら国民がいちいち政策を判断しなくちゃいけないのか。

そんなのができたら自分で政治をやるよ。こっちは自分の仕事や生活で手一杯なのに、政策のことまで考える余裕なんてないさ。

日本は間接議会制なのだから、議員たる政治家が責任を持って政治をやって欲しい。

・私たちが十分な情報を持っていない中で、自己責任とか自己決定と言われても、実際には判断のしようがないというのが事実なのです。

→ 結局はこういうこと。テレビや新聞などのマスコミ情報は偏った情報ばかりだし、学校教育だってそう。

与えられた情報は偏っていると考えた方がいい。その中で判断しようとしても、ちゃんと判断できたいに決まっている。

自己責任を求めるのであれば、正しい情報をオープンにしなくちゃだめ。

というより、そんなことには期待せずに、僕らがもっと積極的に知識を広げていって、与えられる情報に流されないようにすることが必要だってこと。

・ネットゲームの依存症患者を増やし続けていても、提供している会社は罪を問われることがありません。

→ なるほど、依存症になりやすいアルコールやたばこ、ギャンブルに対しては規制がかけられているのに確かにネットゲームにはない。このあたりは筆者が精神科医であることの真骨頂だろう。

・いじめで殴られてケガをさせられたら、学校で解決するというよりも警察で法的に解決したほうがいいと思うのです。

→ その手があったか!学校で起きたことは学校で解決すべきと思いこんでいた。道徳論でイジメが防げないなら、法律論で防げばいい。その方が歯止めになる。

・発生確率は低いのだけれども、ショッキングな怖いことだったら、そちらのほうが気になってしまいます。これは心理学でいうところの「利用可能性ヒューリスティック」です。

→ 飛行機事故の方が自動車事故よりも確率が50倍高いのに飛行機事故の方が印象に残ってしまうのがまさにこのこと。

原発事故や安保法制で戦争が起きることより、自分の身近で起きる、ケガや病気、心の病、事故の方が起きやすいんじゃないかと筆者は言っている。なるほどと思う。

・「どうして自分を責めるんですか?必要なときに他人が責めてくれるから、いいじゃないですか」アインシュタインの言葉。

→ 僕も自分を責めがちなので、この言葉が身にしみる。タモリさんが「反省はするけど、後悔はしない」というようなことを言っていたのを思い出した。

・弱者を叩いて一時的に正義の味方の気分になるというのは、百害あって一利なしです。(中略)

強者の理論を宣伝しているだけのマスコミの主張に乗って弱者を叩くのは、自分で自分の首を絞めているのと同じことなのです。


→ マスコミとの距離間はこんな感じ。マスコミが正義をかざして何かを主張しても、聞き流す方が賢明。

・相手の言葉を深読みしないということも、心の健全さを保つためには大切です。

→ 僕自身が深読みや裏読みをしてしまうので、ハッとさせられた。相手も含みを持たせて何かを言うわけでもないし、そのとき思いついたことをいっているだけだって思えばいい。

・「まあいいか」と思う習慣をつくれば、白に近いグレー、黒に近いグレーに思考を留めることができます。そうして、グレーに留まっていることで、時間が経つと。その問題はどうでもよくなって来るものなのです。

→ 曖昧さを認められるのは、日本人のいいところなんだよなぁ。でも、近頃の日本人にはそれがなくなっているな。北野武さんも言っていた。

白黒はっきりさせると、そのときは気持ちいいけど、その弊害もあるってことは意識しておきたい。

「まあいいか」と思う習慣は、ある種、禅の思想にもつながっている。

・いじめを受けている子どもが自殺するのは、実際にいじめを受ける身体的つらさ、精神的みじめさよりも、「もうこの世界から逃げられない。自分の生きる場所はほかにはない」という絶望感によるところが大きいいといわれます。

→ 我が意を得たり!居場所があればいいんだよ。居場所があれば。子を持つ親として、自分の居場所がここにあるんだと子どもに思ってもらえるように接していきたい。

いじめはいじめる側に問題があるのはもちろん、家庭にも問題があるということも忘れちゃいけないよな。

・日本は、子どもはなるべく傷つくことを避ける子ども天国で、大人は厳しい競争に一生さらされる大人地獄です。

→ 筆者はさらに「子どもの自殺よりも大人の自殺の数が圧倒的に多いというところに目がいってしまいます」といっている。

俺も子どもを持つ親として、子どもを傷つけたくないという親心はよくわかる。過保護なのはよくないってことだ。ただ、難しいのは過保護なのか、そうじゃないかの線引きだ。

子どもには必要以上に傷ついては欲しくないが、そうはいっても競争することに対する免疫は持っていて欲しい。難しい。

・アメリカ人には、ヒーローになれる場をたくさん用意しようという考え方があります。

ところが、日本の場合は、負ける子がかわいそうだからと競争を減らし、結局、誰もヒーローになれない社会をつくり出そうとしているのです。


→ ヒーローになれる場がたくさんあった方が楽しいよなぁ。運動神経がいいといっても、足が速いとか、球技が得意とか、すばしっこいとか、いろいろあるしね。

運動ができないなら、たとえば、昆虫に詳しいとか、絵が上手とか、ピアノが弾けるとか、あるいは遅刻しないっていうのもいいよな。

何かしらでヒーローになれるように、そういう場をたくさんもうけるのは賛成だ。

仮にどれにおいてもヒーローになれなかったとしたら、そういう環境で生き抜くっていたらいい過ぎだけど、そういう処世術も子どものうちから身に付けておくのが必要なんじゃないかな。

・日本がそれらの国(エリート教育を行い、エリートたちに社会をリードしてもらう国)と対等に渡り合おうとするためには、本当に有能な人に少数精鋭のエリート教育を行い、全世界的な視野で物事を見られる有能な人材を育てる必要があります。

ところが、日本には、そうした本当に優秀な人を教育する機関もなければ、意識も欠けています。


→ 本当にそう。国会議員か、霞ヶ関の官僚たちは本来はそうあるべきなんだろうが、ま、国会議員は特に小選挙区になってからは大した人も出てこなくなってるし、官僚たちは頭はいいけど、試験勉強ができるだけ。視野が狭い。

じゃあお前はどうなんだと言われそうだが、俺はそもそも政治はやりたくないし、向いていない。

ただ、今の日本に必要なエリートはこういう人間だというイメージは持っている。そういうのをこれからも探求していきたいし、できれば、エリートを育てることもやってみたい。

・現代において、真の弱者というのは、何も情報を持っていない人、あるいは強者の理論を素直に信じる人なのです。

→ ホントに筆者は今の日本をよく見ているなぁ。俺もそう思っている。言い方が悪いけど現代社会は日本はもちろん世界的に情報戦争の真っ直中だからね。

外交においては自国に有利なように情報を流しあっているし、日本国内においては、官僚や財界が自分たちに有利なような情報を流している。まずはそれに気付かなくちゃ。それからだよ。

俺はそれなりにアンテナを張っているから、強者とは言えないまでも、弱者ではないと思っている。

・考えてみれば、人間は生まれてから死ぬまで人の助けが必用です。「迷惑」をかけてばかりなのです。(中略)迷惑をかけないことは立派なことでもなく、正義でもないのです。

→ この発想、おもしろいね。だからって、悪意で、あるいはワザと迷惑をかけるのは、もちろんだめ。

でも、好きな人の気を引こうとするためにやるのは、いいんじゃないか(笑)

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